【代表コラム】定額給付金から日本の未来について思うこと
表題に関係ないところから切り込んでみる(笑
2011年5月11日の東日本大震災の発生から約2ヶ月後の5月1日に津波被害が甚大だった石巻市を訪問したことを思い出しました。
当時、石巻市の高速道路の玄関口である三陸自動車道の石巻河南ICの近辺には、大きなイオンモールやファストフード店が立ち並び、ゴールデンウィーク真っ只中ということもあり、街道沿いは家族連れで大変な賑わいでした。そこには、拍子抜けするほど普通の生活がありました。ファストフード店(店名は忘れた)で軽く休憩して、インターから1〜2キロ(5分)ほど車で走って、小さな川を渡ったところで、目の前に驚愕の光景が広がったのです。大袈裟ではなく、突然、廃墟となった街が現れました。記憶があいまいなのですが、確か川幅は10メートル無かったと思います。その川の堤防のコチラ側はまったく普通の生活、堤防のアチラ側は、家が流され土台だけが残り。。。直接的に被害を受けた方とそうでない方の違いがあまりにはっきりとわかる光景でした。もちろん、間接的に被害を受けた方、仕事や学業に影響が出た方の被害も大きく一概には言えませんが、被害を受けた方の支援という意味では、国や自治体のアクションの策定や民意を含めた支援策の合意形成がしやすかったのではと、今になって思います。
一方、今回の新型コロナ災害では、例えば日本では、外出自粛の精神的なストレスを含め、程度の差はあれど、日本人全員が被害者ですよね。その一方で、大きな被害を受けている方とそうでない方の見分けが、津波災害と違い、景色としてはっきり見えてこないという大きな違いがあります。外出自粛によって出勤できないけれど自宅で仕事ができる事業と人、一方、外出自粛によってビジネスが一切できない事業、またその影響で仕事が全くなくなった人。どちらも実際に存在するのですが、でも、大きな被害を受けている方の姿・苦労が映像として分かりやすく目に見えないですよね。この目に見えないことが、国や自治体の支援策のアクション策定と民意の合意形成に支障を来たしていると思います。
そして、被害が少ない方は、コロナ災害のリアリティーが薄れ、どんどん日常に戻って行く。日常と言っても、New Normalではありますが。そして、支援策への関心も少しづつ薄れて行く。← 今ココ
先日、自治体の福祉関係の仕事もされている医師の方と話をした際に伺いました。飲食、夜の接客業を仕事にされている方、特にシングルマザー、がかなり困った状況にあると。仕事が全くない、また社員ではないので休業中の保証がほとんど無い(=収入がない)、蓄えも少なく、電気ガス水道の支払いにも困っている人も少なくないと。また、児童虐待の相談窓口に、親御さん本人から電話が掛かってくるケースがけっこうあるとのことです。仕事に出れず、ストレスと将来への不安が重なり、家に子供とずっと一緒にいるために、普段はそうでない方が、お子さんに手を出してしまったと、涙ながらに相談の電話をされたそうです。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
これをかなり幅広く実現できていたのが、10年(?)、20年前までの(今までの)日本だったと思います。しかし、楽観的に見ても、このところその神話が崩れて来ていると思われます。
日本は、世界第3位の経済規模(GDP ドルベース)の国ですが、一人当たりのGDPでは世界で26位(2018年)。一人当たりのGDPは、1988年の世界2位から1990年台は1桁台を維持していましたが、2000年の世界2位をピークに下降を続けています。国別のGDP総額ランキングでは、日本は、米国、中国に次ぐ第3位を維持してはいますが、米国、中国の総額との差は年々広がっており、日本の成長率は他国に大きく見劣りします。1988年から2018年のGDP総額の成長は、米国3.9倍、中国32.5倍、日本は1.6倍。。。残念ながら、一人当たりのGDPのみならず、総額GDPにおいても、このままでは世界における日本の地位の低下は止まらないと思われます。日本の高齢者人口の増加、労働人口の減少が拍車を掛けます。
グローバルに見ても下記が顕著になり、産業構造が大きく変化しています。
・「消費活動の変化」(所有から利用へ、モノ消費からコト消費へ etc)
・「既存企業の成長限界」(既存産業の行き詰まり)
・「デジタルトランスフォーメーション」(進化したデジタル技術の浸透)
技術革新や市場変革を伴ったイノベーションによる事業変革と創造が、国のみならず個人の安定した経済活動の必須条件になって来ています。新型コロナウィルスの世界的な流行(パンデミック)で図らずともそのことが、鮮明になりました。
残念(?)ながら、人と同じことを、努力して、早く・正確に、大量にできることが価値である時代ではなくなりました。作業に近いことは、デジタル、AIで事足りる。今は、デジタル、AIをいかにうまく取り込んで、活用できるかの競争です。すでに仕事は、価値のありかを考え、価値を設計して、頭や体を使って人ならではの新たな価値を提供することが求められる時代。
日本は、様々なしがらみ、因習に囚われてもいます。いまさら戦後の闇市の様に、また発展途上国の様な働き方を、日本に再び求めるのは難しい、1人あたりの創造性と労働生産性をいかに高められかが大きな課題だと思います。
日本は、経済的に豊かになったことにより、保守的になり、新たなチャレンジに対するハングリーさが欠けて来ているように思います。一方で、世界の多くの国では、ハングリーな人たちが、ガッツを持って色々なことにチャレンジしています。もしくは、国民が効率的にチャレンジする様な施策を行っている国もあります。
日本は、移民を前向きに受け入れる政策を取っていません。よって、国外からハングリーかつ優秀な人材が大量に流入することは考えられず、ハングリーな移民の第2世代、第3世代も生まれてきません。アメリカの起業家で移民の第2世代、第3世代で活躍している人はかなりいます(Apple創業者のSteve Jobs氏はシリア系移民の2世、AmazonのJeff Bezos氏はキューバ系2世。アメリカのIT企業TOP25の創業者の6割は、外国からの移民もしくは2世であるとの調査結果もあります。)
移民が少ないことを考えると、日本においては、技術や市場変革を伴ったイノベーションによる経済発展の起点(起爆剤)は、まずは今の日本の人とその次の世代(国籍・民族等に関係なく日本に住んでいる人。以下、ややこしいので便宜的に総称して「日本人」といいます)に期待することになります。そのためには、日本人の特性を考えた上での、チャレンジや起業によるイノベーションを促進する環境を整備していく必要があると思います。例えば、日本は、既存のレールを外れたり、チャレンジに失敗した場合に、社会的・経済的に失うものが非常に大きい国だと思います。失敗してもなんとか持ち堪えられる、受け止めてもらえるという国や地域等の社会に対する安心感・信頼感が必要ではないかと。いくら、チャレンジや起業を推奨されても、クレイジーだったり、良い意味で鈍感な人間以外、失敗した後のリスクを考えると、割に合わないチャレンジになるのであれば、大方の人は現状維持を選択すると思います。
たとえば、企業経営の場合もそうです、資本による資金調達をのぞいて、金融機関からの負債による資金調達(融資)では一般的に経営者個人の連帯保証を求められる。私も、10年以上に渡って数億単位の連帯保証を入れてました。まあ、借入額が増えて行くとどんどん感覚が鈍くなっていくのですが、会社が飛んだら、自分だけでなく家族の日常生活、引いては人生が飛ぶって、まあまあ結構なリスクだなと。。。
個人的なのことは置いておいて、災害等の突発的な事象を含め、事業と個人を守るためのセキュアベースが必要なのではと思います。頑張って事業を起こして何とか軌道に乗せてきた人、生活を頑張って何とかやりくりしていた人が、災害によっていきなり、復活できない状態にまで追い込まれる。これでは、保守的で安定した地位や職業を求める競争を後押しすることになり、チャレンジを促進することにはならないですし、それを見ていた周りの人たちもチャレンジしようとは思わないですよね。
新型コロナ災害を契機に、困窮世帯が増えていくのは日本の将来に禍根を残すことになると思います。世代をまたがった、さらなる負の連鎖が始まってしまいます。現在の不確実な世の中で、最低限の生活にも窮する人が増え、社会が守ってくれないという不安から、さらに保守的になるか、諦めの心境にならざるを得ない第1世代(現在の世代)。それによって、少子化で減少傾向にある第2世代(子孫の世代)には、十分な教育等の将来への投資が行えない。高齢者人口が増加し、労働人口の減少にも関わらず、そのような環境の人が増えれば、結果は自ずと。。。
生活保護を受けている方の定額給付金受け取りに対する批判等も出てきています。(『「10万円給付金もらうな」生活保護バッシング起きる理由』)が、困ったところを批判し更に追い込んでも益はなく、もう少し異なった視点(日本の将来を踏まえたマクロ的な)から、施策や政策を評価してみてはどうかと思うところです。ベーシック・インカムも含めて社会保障のあり方を議論する時期に差し掛かっているのかもしれません。
「情けは人のためならず」、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な。。。